作家 山本盛敬のホームページ

(HP内の文章が途中で切れている場合は、「最新の情報に更新」してみて下さい。それで全文が現れると思います)

講演会の報告

2017の12月3日(日)13:00〜15:00に、厚木市荻野運動公園体育館の会議室で、拙著『立ち上がる民衆』の内容を踏まえた講演会が開催されました。主催は「荻野の歴史を学ぶ会」で、後援は厚木市と厚木市教育委員会がして下さいました。講演のタイトルは「荻野山中陣屋襲撃ー結城四郎とその門人たちの活躍ー」で、荻野山中藩の成り立ちや幕末当時の時代背景、結城四郎と主な門人たちの紹介、陣屋襲撃の詳細についてお話しさせて頂きました。一応定員は150名だったのですが、それを越える聴衆の皆さまにお集まり頂き、誠にありがとうございました。なお、講演会の模様を写した写真がありますので、興味のある方はどうぞご覧下さい。

 講演会の写真     講演会

 

こんにちは、山本盛敬(やまもともりたか)です。主に末時における歴史物の小説や史論、人物評伝を研究・執筆しております。以下に私の簡単な経歴と、これまでに出版した出版物をご紹介致します。なお、このHP内に掲載している史蹟の写真は全て私が撮影したものです。

山本盛敬の経歴:1968年横浜生まれ。山本盛敬は筆名で、本名は小林民彦。大学卒業後、自動車メーカーに入社して十年間勤務。退社後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程修了。なお小説や史論の執筆、または講師のご依頼は、以下のメールアドレス(hrw8407@hotmail.co.jp)で承ります。                                 

(インターネットの通販サイトか、または書店からのご注文で、ご購入いただけます)

 『民衆による明治維新』に関する史蹟の写真     下諏訪     下伊那・中津川     山梨

○上記拙著の「はじめに」より

一般的に明治維新は、薩長土肥などの西南雄藩とそれらの藩の志士たちによって成し遂げられたと思われていると思う。確かに雄藩とその藩士たちが重要な役割を果たしたことは間違いない。しかし彼らの他にも、多くの無名の志士たちが活躍していたのであり、そのことを訴え、出来る限り彼らの業績を明らかにしたいと思い、本書を書き始めた。

幕末において彼ら志士たちは、幅広いネットワークを構築し、連絡や情報交換を行いながら、相互の連携を模索していったと思われる。そのネットワークがどのようなものだったのか、全体像はなかなか掴みづらいが、極力本書の中での再現を試みた。

明治維新はそれらの多くの志士たちが困難にもめげず、多くの犠牲者を出しながらも、幾多の決起を諦めずに繰り返し、最終的に成し遂げたものである。しかしそんな偉大な志士たちの中で、特に相楽総三ら草莽の志士たちが、なぜ悲惨な最期を遂げなければならなかったのか。同じような行動をしていながら、最終的に栄達を果たした者と処刑された者とを分けたものは何だったのか。その辺りを可能な限り追究することが本書の目的である。

本書では平田国学に注目した。平田国学が志士たちを倒幕や討幕へと導き、また志士たちの連絡や情報交換にも重要な役割を果たしたと考えるからである。さらに幕府内尊攘派としての山岡鉄太郎にも注目した。彼が倒幕運動に重要な役割を果たしたと考えるからである。彼と西郷隆盛をそれぞれ尊攘派の東西の巨頭として登場させた。この二人が志士たちとどのように関わり合い、志士たちの活躍と最期にどのような役割を果たしたのか。そして明治維新の本質は何であり、本来はどうあるべきだったのか。この辺りが本書において筆者が最も訴えたかったことである。

○上記拙著の「目次」より

第一章 京都不穏     第二章 天誅組     第三章 天狗党      第四章 西郷と中岡

第五章 小島四郎     第六章 上京      第七章 土邸浪士     第八章 前哨戦

第九章 討幕戦争     第十章 赤報隊     第十一章 偽勅使     第十二章 江戸無血開城

                                                      

(インターネットの通販サイトか、または書店からのご注文で、ご購入いただけます)

 『立ち上がる民衆』に関する史蹟の写真     荻野     飯山・藤沢・大和    

上記拙著の「はじめに」より

拙著の一作目は横浜に関する小説だったが、二作目、三作目は西郷隆盛に関するものだった。そこで、四作目はまた地域に根ざした題材にしたいと思い、厚木の話と出会った。特に西郷が関係していたことや、また厚木は明治の自由民権運動が盛んだったことを改めて認識して余計に興味が湧き、小説を書くことに決めた。これが、この『立ち上がる民衆』を書こうと思った理由である。

厚木は横浜の自宅から近く、今回の執筆にあたり、何度も現地に行って取材することが出来た。特に厚木市や愛川町、旧津久井町(現相模原市緑区)で登場人物のご子孫や関係者の方々に聞き取り調査を行い、貴重な生のお話を伺うことが出来、とても感謝している。

この『立ち上がる民衆』では、西郷に関する新説も展開している。通説では維新前夜の西郷は、相楽総三ら浪士たちを利用するだけ利用して用が無くなったら捨てるという、権謀術数を駆使した悪役のイメージで、このイメージが西郷という人物の全体像にも暗い影を落としていると思う。しかし、この小説で筆者は、実は西郷は相楽たちを使って幕府を倒させ、文字通り「民衆による明治維新」を後押ししていたのではないかと訴えている。

荻野山中陣屋を襲撃した浪人たちは、江戸三田の薩摩藩邸から来た薩邸浪士と、その薩邸浪士たちを支援した厚木周辺の人々である。従って、皆いわば西郷の同志たちであり、ゆえに筆者にとっても、彼らは同志のように思えてならない。しかし、彼ら厚木の同志たちは、幕末に陣屋を襲撃したり、また明治になってから大阪事件に関与したりしたため、子孫の方々は長らく肩身の狭い思いをしてこられたという。それが、昭和五十六年の自由民権百年を祝う式典で、彼ら厚木の同志たちが顕彰されたことにより、この時点では子孫の方々も大いに溜飲を下げられたことと思う。だが、やはり月日が経つに連れて、次第に彼らの業績は人々から忘れ去られていった感がある。

確かに、彼らに襲撃された被害者にとっては、彼らに対して複雑な思いがあるであろうことは想像に難くない。しかしながら、その一方で彼らの果敢な行動が明治維新を成し遂げ、また明治の自由民権運動を推進したことも事実だと思う。特に現代の私たちにとっても、彼らは民衆が立ち上がることの重要さを教えてくれていると思う。そこで、ここに筆者は彼らの業績を再顕彰したいと思うのである。

○上記拙著の「目次」より

第一章 飯山の桜       第二章 結城四郎      第三章 武州一揆    第四章 薩邸浪士     第五章 陣屋襲撃                                                第六章 津久井、八王子へ   第七章 薩摩屋敷焼討ち   第八章 新たな戦い   第九章 自由を求めて   第十章 大阪事件        

 

(インターネットの通販サイトか、または書店からのご注文で、ご購入いただけます) 

 『英明と人望』に関する史蹟の写真     洗足

上記拙著のカバー裏面より

『西郷隆盛 四民平等な世の中を作ろうとした男』に続く、西郷隆盛研究に生涯を捧げる筆者が新たな西郷像を世に問う第二弾。今回は勝海舟と西郷の二人がどう影響、協力し合い、世を明治へと導いたのかを追究した。そして西郷召還と島津斉彬の死の関係、西郷と島津久光の関係の真実、西郷が西南戦争に込めた秘策とは何か。なお、編集は時代考証家で作家の若桜木虔氏が担当。

上記拙著の「はじめに」より

 表題の「英明と人望」とは、幕末の将軍継嗣問題において、紀州の徳川慶福を推した南紀派が血統を重視したのに対し、一橋慶喜を推した一橋派が次期将軍の条件に掲げた「英明・人望・年長」というスローガンから取ったものである。つまり、政治的指導者を選ぶ際には血統による世襲ではなく能力や人格によるべきであり、そもそも人間に貴賤はなく平等である、との筆者の主張がこの表題には込められている。

 ところで、西郷隆盛の生涯には幾つもの謎があると思う。拙著『西郷隆盛 四民平等な世の中を作ろうとした男』において、筆者は自分なりの解釈に基づいて新しい西郷像を提示してみたつもりであるが、その執筆中に感じたのは、西郷隆盛という人物に対する勝海舟の影響の大きさであった。現在の通説においても、西郷への勝の影響は決して小さくないと認識されている。しかし、その通説における認識以上に大きいのではないかと、筆者は感じたのである。

 そこで、本書において筆者は、勝から西郷への影響を具体的に記述しようと試みた。ただし、本書では二人が出会う以前の、若年期からの二人の思想形成も書くことにした。そうすることで、幕末から明治へと至る過程において、二人が何に苦しみ、何を求め、何を決断したのかを、より鮮明にすることができたのではないかと自負している。あるいは、この若年期のエピソードのほうが、二人の出会い以降の有名なエピソードよりも、読者の皆様にはより斬新に映るかもしれない。

 ただ、勝から西郷への「影響」となると、どうしても筆者自身の想像で書かざるを得ない部分が生じてくる。しかし、そうはいっても本論中の出来事の日時や内容は基本的には史実に基づいており、会話の内容も当時の登場人物たちの思想や行動から導き出したものである。従って、想像とはいっても、あくまで「そういう会話もあったかもしれない」という枠内に留め、「こんな会話は有り得ない」というものは排除したつもりである。

 新説も盛り込んだつもりである。西郷召還と島津斉彬の死の関係(第六章)、西郷と島津久光の関係の真実(第十章)、西郷が西南戦争に込めた秘策(第十章)、である。

 あと、拙著『西郷隆盛』に収録されている「蛇に誘(いざな)われた西郷」という小論を、巻末資料として掲載しておいた。この小論をお読み頂かないと本論の第十章以降が理解できなくなってしまうので、できれば本論をお読みになる前にご一読して頂けたらと思う。

 

 『西郷隆盛』に関する史蹟の写真     鹿児島  

 

上記拙著の「まえがき」より

世が明治となったある日、訪ねてきた旧知の者に対して西郷は、

 

 「四民平等と為る世の中に、小松帯刀は、小松家を京都の舞妓に生れたる子に譲りて、自ら華族と為らんことを期しつゝありと。是れ何等の見地ぞ」と、憮然として長大息せりと云ふ。                 (『西南記伝下一』黒龍会編 原書房)

 

右の引用文に、私が本書で最も訴えたいことが書かれている。すなわち、西郷は「四民平等」な世の中を作ろうとしていたのであり、又そういった世の中を作る為に「世襲」に反対していたということである。加えて、これは右の引用文では明言していないが「四民平等」という以上、西郷は新設された「華族」や従来からの「士族」といった特権階級に否定的な考えを持っていたらしいことも窺(うかが)える。西郷が残した詩の一節「不為児孫買美田」(児孫の為に美田を買わず。〔子孫に財産を残さない=筆者訳〕『西郷南洲遺訓』第五条より)は決して有形財産だけではなく、このような地位の世襲も含んでいるのであろう。このように彼は、本書の副題にも掲げた通り「四民平等な世の中を作ろうとした」が結局は作れなかった。

この引用文の内容を踏まえつつ、なぜ西郷は右のような考えを持つに至ったのか、その理由や経緯を本書では追究していく。それが、謎が多いとされる西郷の生涯や、彼の実像を知ることにも繋がると考えるからである。

では、なぜ今西郷隆盛なのか。それは、前述のような世襲の無い平等な世の中が、平成となって久しい現在の日本においても、未(いま)だに出来ていないと思われるからである。そして、明治六年の政変によって西郷を明治政府から追い出したことに、その原因の一端を求めることが出来ると思うからである。従って逆に考えれば、明治初期にもし西郷がもっと長く政権を担っていれば、そのような世襲の無い平等な社会だけでなく様々な面において、その後の日本は全く違った形になっていた可能性も大いにあると思うのである。

そう考えた時に、では「なぜ西郷は征韓論争で敗れ、呆気(あっけ)なく下野・帰郷したのか」、「なぜ賊として死ななければならなかったのか」、「西郷の真意は何だったのか」、当然我々はこのような問いを発することが必要になってくる。本書は、これらの問いに完全な答えを用意したとはいかないまでも、読者への幾つかの示唆を用意したとはいえると思う。

そのように彼の人生には、態々(わざわざ)敢えて損な道を選び、自ら進んで死んでいったかのような印象さえ受ける。従来はこのような彼の生き様に対し、「情に厚い人物だったが故に、その最期も情に流されたのだ」と安易に片付けられてきたように思う。そう解釈するしか、理解のしようが無かったからであろう。

しかし、本当にそうだったのであろうか。確かに彼は情に厚い男であったと私も思う。しかし同時に私は、また彼は決して情に流されるような「お人好し」ではなかったとも思うのである。そのような「お人好し」は世に五万といるであろうし、そんな人物では「維新回天の大事業」は絶対に成し得なかったと思うからである。では、なぜ彼はそのような「貧乏くじ」を敢えて引いたのか。その選択には何か彼の「深慮」があったのではないか。この辺りが、本書が追究するメイン・テーマである。

本書では西郷を追究する為に「キリスト教」を用いる。当時の彼の部下の証言から、西郷は幕末時に漢訳の聖書を所持していたことが分かっており、キリスト教が彼の思想形成に対して少なからぬ影響を与えたと私は考えるからである。またキリスト教からの観点が、これまで「謎が多い」とされてきた彼の人生を解明する重要な鍵であるとも思うからである。

私は本書を西郷隆盛についての評伝か史論と位置付けているが、幾分証拠不足の為に、結局は推測を元に書かれた小説のようになってしまった箇所もある。その点、読者の皆様にはご了承頂きたいと思う。  

 

 

 『小説 横浜開港物語』に関する史蹟の写真      横浜     下田 

 

 2009年に私が出版した『小説 横浜開港物語』です。自分が生まれ育った横浜が、開港150周年を迎えたのを記念して出版しました。副題は「佐久間象山と岩瀬忠震と中居屋重兵衛」です。副題が示す通り、この三人が主人公です。主人公が三人というのは普通の小説からすると少し変わっていると思いますが、主人公を一人にすると結局は「伝記」になってしまい、横浜開港の歴史の一部分にしかスポットをあてられないと思い、敢えて三人にしました。こうすることで多角的に横浜開港の歴史が描けたのではないかと自負しております。

 やはり主人公が三人ですので登場人物も多く、様々な人間模様が重なり合っておりますが、中でも三人がそれぞれの好敵手と激突する場面が展開を盛り上げます。すなわち、吉田松陰の下田踏海に連座して身柄を拘束された佐久間象山は江戸北町奉行の井戸覚弘と、岩瀬忠震は日米修好通商条約の締結交渉でアメリカ総領事のハリスとそれぞれ激突し、また中居屋重兵衛は大老の井伊直弼に果敢に挑んでいきます。

基本的には史実をベースとし、文献なども可能な限り引用した学術書のような部分や、佐久間象山や岩瀬忠震がなぜ横浜開港説を主張したのかといった、歴史の謎解きを行っている部分もあります。しかしその一方で、謎が多い中居屋重兵衛や、実在かどうかも定かでない岩亀楼の遊女喜遊なども登場させておりますので、このような不確定な部分が多い人物を描いている以上、この小説は正確には歴史小説ではなく時代小説の部類に属するかと思います。初めての出版ですので、至らない点も多々あろうかと思います。それでも自分としましては持てる全能力を降り注いで書いたつもりですので、興味のある方はどうかお読みになって頂きたいと思います。

 

以上長々と書いてしまいましたが、最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。今後とも、山本盛敬を宜しくお願い申し上げます。

2023年1月1日 山本盛敬 

 

 

Copyright © 2023 Moritaka Yamamoto. All rights reserved. 

 

 

inserted by FC2 system